八月の下旬。夏も終りに近づきつつある時期とはいえ、まだ気温は高く、暑苦しい。
 世間では、夏を謳歌する人々が様々なレジャーに手を出している頃だろう。海も山も、主要な観光名所もレジャー施設も、今頃は何処も人で溢れているに違いない。
 海といえば、この家は海に近い。もっとも、泳ぎに行ったことは無いし、これから行こうとも思わない。『家族達』は何とか私を連れ出そうと悪戦苦闘していたが、申し訳ないことにそれは無駄な努力に終わった。
 二人には申し訳ないと思っているが、その思いと実際の行動は合致しない。私は今日も部屋で怠惰に時間を潰している。
 家には私しか居ない。他の人たちは、ちゃんと自分の生活を送っている。ユキナさんは部活の練習に励み、ミナトさんも教師として、夏休み中にも関わらず学校で教鞭を振るっている。夏期講習や補習やらで忙しいとぼやいていた。
 しかしながら、私に気を遣い、元気付けてくれようと尽力してくれている二人には申し訳ないが、彼らが外出しているのは、正直言って気楽だった。人の好意すら煩わしいと、不遜にも私は感じている。
 その身勝手さを自覚しつつ、直そうとする気力は無い。
 これでも、大分マシになってきたのだ。

 この家は数百年前、昭和と言われる年号であった時代の日本によく見られた造りなのだと、家主のミナトさんが自慢していた。と言っても、人類が木星まで進出した23世紀現在においても、庶民の住む家が漫画のような突飛なデザインになる筈も無く、典型的な和式の家は健在だったりする。この近辺にはそういった建築物が多く、よく言えば昔ながらの、悪く言えば古臭い街並みが広がっている。美人で露出度の激しい服装を好むミナトさんではあるが、実は古風な点が多く、この家を選ぶ辺り、趣味も渋い。
 家の敷地は日本家屋としては広い部類に入るのだろう。ミナトさんとユキナさん、そして私が一部屋ずつ独占しても、まだ幾つか空き部屋が存在するのだ。
 外装と同様に、内装もまた和式で構成されている。私の自室となっているこの部屋もその例外ではなく、今、私はキャミソールに短パンといったラフな格好で、だらしなく畳の上で横になっている。ミナトさんが仕事中で助かった。こういった点に随分と硬派な彼女が見れば、呆れながら私を叱っているだろう。
 障子は開かれているものの、心地よい風は残念ながら入ってこない。吊るされた風鈴は沈黙を保ち、私の耳朶を打つのは高速で回転する扇風機だけだ。
 ――――つまらない、な
 この世で最も強い苦痛とは退屈であると、昔の偉人が言っていたらしいが、とてもじゃないが私はそれに同意したいとは思わない。どんな偉人だったか、私にしては珍しく記憶がおぼろげではっきりしないが、その人が生涯どれだけの苦痛を受けてきたのか知りたいものだ。退屈を最大の苦痛と言いのけるのならば、是非とも私が背負うモノを肩代わりして欲しいものだ。その英雄には、さぞや軽い荷物なのだろう。
 とは言え、やはり私にとっても退屈とは苦痛なのである。消極的な日々を送っておきながら、何を言っているのだろうかと自分でも思うが、仕方の無いことだ。
 そして、退屈を感じることそれ自体が、私にとってはある意味成長と呼べるのだ。
 上体を起こす。必要最低限の物だけが置かれた部屋。どれもが初めからあった物か、ミナトさん達が気を遣って後から用意してくれた物ばかりで、私物と呼べるものは殆ど無い。
 そんな中で暇を潰せる物は多くない。私はちゃぶ台の上からリモコンを取り、テレビの電源を入れた。
 毎日放送している番組の音声が、部屋に響く。
 地名しか知らない観光地で能天気に笑うリポーターと地元住民。今年の夏も大勢の観光客で大賑わいなのだそうだ。
 ひとまずチャンネルを一周させてみたが、特に暇潰し以上に価値を見出せそうな番組は見出せず、私は数分おきにチャンネルを変えては、色々な番組を暫く眺める。
 主婦がいかにも好みそうなゴシップ関連のコーナーが終り、いい加減テレビの電源を落とそうかと思っていた私の目に、飛び込んでくる映像があった。
 日本有数のラーメン激戦区であるXX町の、ラーメン屋同士の壮絶な営業合戦。そんな見出しと共に、色々な店舗や、そこで働くコック、そして彼らが作るラーメンがテレビの液晶に映し出されては消えて行く。
 私はリポーターが紹介する様々な種類のラーメンを見る。醤油、塩、味噌、豚骨、エトセトラ……。
 どれも各々の料理人が自身のノウハウを存分に投入した料理なのだろう。事実、どの店も何十メートルという行列ができる程の人気が出ているらしい。
 しかし。
「……大したことなさそう」
 小さく呟き、私はリモコンの電源ボタンを押す。プツリと音を立て、押し黙るテレビを余所に、私は再び寝転がった。
 年季の入った木製の天井をぼうっと眺めながら、思考の海に潜る。
 脳裏に浮かぶのは一つのラーメンどんぶり。彼が誠心誠意を尽くし作り上げた、渾身の特製ラーメン。
 先程の番組に出てきたラーメンと、嫌でも比べてしまう。そして、どのラーメンも、その特製ラーメンには決して叶わないのだ。
 どんぶりを私の手元に置く、彼の笑顔が浮かぶ。
 ふと思った。
 あの事故が、ニュースで取り上げられるのも減ったな、と。
 当時の報道は凄まじかった。世界中のメディアが注目し、一日中ニュース番組で取り上げられた。特番も幾つも組まれ、全国のニュースの大部分を占めていたらしい。
 だけど、どれだけ重大なニュースだろうが、時が過ぎれば、他のニュースに流されてしまうものだ。
 事故や事件など、毎日のように起こる必然の出来事に過ぎない。どんな凶悪な事件だろうが、数ヶ月も経てば大部分の視聴者の記憶から片付けられてしまう。私自身、過去のニュースをどれだけ覚えているかと問われて、完璧に答えることなど不可能な話だろう。
 だから、いっそのこと忘れられれば良いのにと、考えてしまう。
 それは罪だろうか。この悲しみは私には重過ぎる。しかし、それは決して捨ててはいけない、捨てたくない荷物だ。私がこの荷物を放棄することは、彼らの存在を忘れることに、彼らとの思い出を捨て去ることになる。私には、それが何よりも耐え難い。
 私と多くの仲間に見送られ、新婚旅行に旅立ったアキトさんとユリカさんを、私達の目の前で奪ったシャトル爆発事故。
 あの忌まわしい悪夢から、既に二ヶ月が過ぎていた。


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